エッグでの8年間
2023年03月08日
この時期になると
思い出すことがある
それは3年前の話
高校3年生の生徒が報告にきてくれた。
「先生!受かったで!」
使い方は間違っているが
そのときは頭の中が真っ白になるくらい
うれしかった。
彼女は、
山崎北小学校の5年生のころ
うちの塾に来るようになった。
ちょっとだけ
中学受験を考えたりもしたが
受験をすることもなく
そのまま岩出中学に入学した。
決して優等生タイプではなかった。
どちらかと言えば
中1・2のころは
僕自身すこし手をやくこともあった。
だけど繊細で真っ直ぐな子だった。
やると決めたら
いつまでもやれるだけの「馬力」と「根性」があった。
国語力・文章力を身につけようと
朝日新聞・「天声人語」の転記をはじめたのは
中1のころだった。
それはその後、来る日も来る日も
明けても暮れても毎日続き
中学3年生になるころには
国語の偏差値が
全国のトップレベルほどになっていた。
まさに「継続は力なり」だった。
ただ、いざ受験となると
中学生活前半の内申点がひびき
点数はとれたのだが
高校選びは慎重にならざるを得なかった。
高校は、那賀高校へと進学した。
そして彼女はバイトの日々に明け暮れた。
学校の成績にひびくほどではなかったが、
大学を意識することもなく
「ゆったりとした」「楽しい」高校生活を送っていた。
そして、高校2年の冬
「和歌山大学めざして頑張る!」
そういい始めた。
「そうか!がんばろうな!」
そうは言ったが
内心「・・・・」と思ったこともあった。
いまとなっては「ごめんなさい」と謝らなければならない。
失礼なことをした。
僕は彼女のことを甘くみていたのだ。
それからの日々は
血のにじむような努力の日々だった。
睡眠時間をけずり、
ひたすら問題集と向き合い
そして
その勉強を1年間やり通した。
遊びたい日もあったろうし
不安にかられたときもあったと思う。
だけどやはり「根性」が違った。
彼女だけは
最後の1秒まで、自分自身をあきらめなかったのだ。
だから
「和大に受かったよ!」合格報告をうけたときは
本当にうれしかった。
頭の中が真っ白になるほど
「おめでとう!」と思った。
エッグでの8年間
彼女は僕たちにいろんなことを教わった
僕たちも彼女からたくさんのことを教わった
そんな「ありがとう」という想いが
お互いにあったのかもしれない。
最後にお母さんが
こう話された。
「受かっていても、ダメでも、
先生にはあいさつに来るつもりでした。」
その言葉は何よりもうれしかった。
塾の先生でよかったとも思ったし、
塾の先生でなくなるところの関係性が築けたようで、
心があたたかくなるものを感じた。