走れ! 北海道1周テントの旅
2023年09月25日
先日、北海道にいったとき
美瑛町の観光案内所に立ち寄った。
そして、地元の方と
きれいに変わった街並みについて語り合った。
まるで同窓会のように昔を懐かしんだ。
26年前、僕はこの町でテント暮らしをしていた。
そのときも同じようにここに来たのだが、
駅前は、僕の記憶の町でなくなっていた。
勝手なもので、
その変化には驚きよりもさみしさの方が強かった。
26年前フェリーで小樽にやってきた青年は
テントをもってふらりふらりとお金のない旅をしていた。
もちろん携帯電話もない時代
たくさんの苦労やトラブルもあったが、
人との出会いや多くの人の助けで
輝くような思い出をつくることができた。
「北海道1周テントの旅」は、
僕の宝物のような思い出だ。
「白糠恋問・道の駅」にたどりついたのは
9月に入ってからのことだった。
道東はもうすでに秋になっており
寒い寒い日が続いていた。
この頃の旅はあいにくの天気が続き
よく足止めをされていた。
弟子屈では降り続く雨で3日間も公園で過ごしたりもした。
白糠恋問でも3日ほど寝泊りをした。
この道の駅には当時ラーメン屋さんや魚屋さんがあり
その大将たちは
毎日駐車場で寝起きする僕をとてもかわいがってくれた。
「これ食ってみろよ」
「これはもう100円でいいや」
「ラーメンおごってやるから出てこいよ」
店のスタッフのおばちゃんたちも
本当に親切にしてくれた。
住んでいる間はまるで家族のようだった。
旅立ちの日、
涙こそ見せなかったが、
僕は後ろ髪をひかれながらこの道の駅をあとにした。
和歌山に帰ってきてから僕は写真整理をしていた。
するとこの道の駅の人たちと撮った写真がでてきた。
僕は感謝の気持ちを手紙に綴り
写真を同封して送ることにした。
それから2年後
僕はふたたび白糠恋問・道の駅を訪れた。
おばちゃんは僕の姿を見つけるとすぐ店内へと走った。
「店長!あの子が帰ってきたよ!!」
ラーメン屋の大将も魚屋の店長も
再会をすごく喜んでくれた。
そして「あれを見ろ」と上方を指さし
僕はくるりと壁を見上げた。
なんと僕が送った写真を飾ってくれている!
ほんの3日立ち寄っただけの僕
その僕との思い出を
まるで息子の写真のように大切にしてくれている。
心からうれしかった。
本当にこの人たちが大好きだと思った。
いまも北海道の各地にいけば
「旅行に来た」ではなく
「帰ってきた」という気持ちになる。
何よりもうれしいのは
それが僕だけの気持ちではなく
道の駅のおばちゃんが言ってくれたように
「あの子が帰ってきたよ!」 と
その人たちが言ってくれることだ。
地元ではない土地なのに
「ただいま」といえる土地や人が僕にはたくさんいる。
そのことは思い出とともに
僕の大切な人生の宝物となっている。